特許なき発明。AK-47の父カラシニコフ逝く

2009年だけで1億挺以上製造された世界一のロングセラー、AK-47アサルトライフルの発明者ミハイル・カラシニコフ(Mikhail Kalashnikov)が月曜、94歳の天寿を全うしました。   世界で一番多くの人を殺した兵器、小さな大量破壊兵器とも称されるAK-47ですが、この小型銃を氏が発明したのは戦後間もない1946年のことでした。そこにはソビエトのシンプリシティと信頼性を追求する哲学が凝縮されています。   ゴツくて、メンテも楽。AKは他の武器が使えない極限の環境下においても忠実に役目を遂行します。世界で最も広く使われているアサルトライフルにはそれなりの理由があるのです。   2009年、氏はロイターにこのように語っています。  
「若い頃、どこかでこんな一節を読んだ。全能の神はこう言い給うた。『すべて複雑過ぎるものは不要なり。必要なのはシンプルなもの』 ... これが私の人生訓となった。 私が兵器を作るのは父なる祖国を守るため、シンプルでリライアブルな者であるためなのだ」
    カラシニコフはアルタイ地方クーリャ(Kuriya)の農家の生まれ。家族は1930年に全財産没収され、シベリアの村に強制移住させられました。   小さい頃から病弱で、6歳の時には死の淵を彷徨ったカラシニコフ。機械と名のつくものにはなんでも興味を持つ反面、詩を書くのも大好きで、大きくなったら詩人になるのが夢でした。シベリアでは家の野良仕事を手伝う際、10代から父親のライフルをよく借りていたようです。   7年生修業後、家族の許可を得て1000km近くヒッチハイクして故郷クーリャに戻り、トラクターの機械工の仕事にありつきます。1938年には赤軍に徴兵され戦車技師となり、たちまち昇格してストルイ駐屯第108戦車師団第24戦車部隊の指揮官に。軍は1941年ブロディの戦闘後引き揚げたのですが、カラシニコフは1941年10月ブリャンスクの戦闘で負傷し翌春まで入院、その経験が彼のその後の人生を変えます。   リハビリ中、負傷した兵士たちが「ソビエト製ライフルが使い物にならない」とこぼしてるのを聞き、 もっと効率のいい兵器を作ってやろうと心に決めるんですね。   最初つくったサブマシンガンは採用見送りとなったのですが、これがAK-47発明の礎となります。これでエンジニアリングの頭角を現したカラシコフは、赤軍中央科学開発局に抜擢され、兵站総局のライフル兵器開発のための射撃場で働くことになったのです。   カラシニコフといえばライフルで有名ですが、実は彼が発明した小型兵器はAK-47、AK-74、AKM、PKRライトマシンガンなどなど総勢150種以上にも及びます。   が、ソビエトは共産主義国家だったので、カラシコフは特許を1個も持っていません。特許収入はゼロで、晩年カラシニコフ・ウォッカでちょこっと儲かったぐらいです。   カラシニコフの兵器は戦闘の世界を変え、今も世界50以上の国々で使われています。 Source : GIZMODE